1844年、産業革命が進むイギリス。マンチェスターの近くにある織物の町ロッチデールで28人の織物工たちが1ポンド(当時の1ヶ月分の収入程度)ずつ出し合って「ロッチデール公正開拓者組合」を設立したといわれています。当時、労働者はとても貧しく、苦労して手に入れた食料品も、量を増やすために混ぜ物をされるなど、分量も品質も ごまかしたものばかり。 「自分たちの生活は、自分たちで守ろう。」彼らはついに立ち上がりました。「自分たちで資金を出しあって、お店をつくり、純良な商品のみを、正確な計量によって供給する。利益は組合員に分配する」という原則のもとに、小さな店を開店したのです。創設当時、店に並べられたのは、小麦粉、砂糖、バター、オートミールの4品目だけ。しかし組合員は自らの利用で自分たちの生協を支え、仲間をふやして一つひとつ取り扱い品目を増やしていきました。 「自らが出資し、自らが利用し、自らが運営する」という現在の生協の基本原則は、ロッチデール公正開拓者組合の成功とともに確立されました。その後、協同組合運動はヨーロッパ各地へ広がり、やがて日本へも伝わっていったのです。
1973年のオイルショックがもたらした「狂乱物価」。石鹸や洗剤、トイレットペーパーなどをはじめ、石油を原料とした商品だけでなく日常にかかせないものまでがどんどん値上がりしてゆく...。そんな市場背景の中で、自分たちのくらしを守るため、翌年1974年に南大阪の主婦たちが「仮出資金」を出しあい、トラックを購入して 共同購入を始めました。これが、いずみ市民生協の第一歩です。 そして半年後の11月5日に創立総会が開かれました。「さまざまな考え方や意見の違いを乗りこえて、生活と健康を守るために、みんなで力を合わせ、地域社会における責任の重大性を認識しつつ、明日の大阪いずみ市民生協の発展のために奮闘することを誓います。」と創立宣言は高らかに謳っています。
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