2019年高校生沖縄特派員新聞
2/4

験を語る島袋淑子さんひめゆり学徒としての体沖縄県庁で基地対策課の山口さんに説明を聞く●沖縄県庁【地村真萌果】︱基地移設に賛成の人たちはどんなメリットがあるのか?︱国が移設先に辺野古を選んだのはなぜか?は移設工事を進めている「知らない」から「知ろう」へ戦争当時当たり前だった教育平和憲法に思う沖縄の光太平洋戦争末期、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒222人が、沖縄戦の看護要員として動員され、123人の若い命が奪われた“ひめゆり学徒隊”。そんな女生徒たちの軌跡をたどるため、私たちは、ひめゆり平和祈念資料館(糸満市)を訪れ、前館長で学徒隊の一人、島袋淑子さんにお話を伺った。当時島袋さんは17歳で、今の私たちと同じ年頃の女の子だった。ひめゆり学徒隊として戦場に 駆り出されると知った時、初めは林間学校に行くくらいに思っていて、1週間もすれば無事日本が戦争に勝ち、自分たちも先生に褒めてもらえると思っていたらしい。まさか友だちが死んだり自分がけがをしたりするとは思っておらず、学徒隊の 友だちとも、「お国のた沖縄県立第一高等女学校に在学していた島袋さんは皇民化教育、軍国教育を受けた。学校に行ったら、まず天皇陛下の写真に最敬礼、次に氏神様にお辞儀をして教室に向かう。天皇陛下のために、お国のために命を捧げる教育を受けていた。「今の教育とは全 く違うでしょう」と島袋さんは言った。第一高等女学校は教師になる学校で、最初は教師にあこがれて勉学に励 んでいた。しかし、戦争  う2   目目目     めに一生懸命頑張ろうね!」と張り切っていたという。動員先は600人の負傷兵が収容された糸数アブチラガマ。軍艦の大砲による攻撃「艦砲射撃」などが続くガマの外に出 る時は、「即死でお願いします」とお祈りをしたそうだ。死ぬ覚悟はできていたが、苦しんで死ぬのだけは嫌だったという。そんな経験をした島袋さんは「憲法9条だけはが近づくにつれ2年生では陣地構築。3年生では包帯の巻き方や皮下注射の仕方など看護教育についても学んでいった。教 師になる学校であったのに、だ。しかし、その頃は看護教育を受けて兵隊の世話ができると喜んでいたそうだ。島袋さんが3年生になったころ敵国の言語という理由で英語が廃止された。1年の時に入った英語部も解散したという。 島袋さんはインタビュー中、「今思うとあの絶対になくしてはいけない。もし平和憲法が変え られたりして戦争の準備が始まったら、そのときは、私は牢ろに入れられても、ダメだと言い続けます」と熱く語った。インタビューの最後に、島袋さんは現代の若者に対しこのように呼びかけた。「命を大事にしてほしい。強く生きてほしい。たとえ辛いことがあっても、諦めずに生き続けてほしい。自分のた頃の日本の教育は間違っていたと思う」と繰り返した。私はこの言葉に二つの意味を見いだした。 一つは英語教育廃止について、相手の国を知っておいたほうがいいのに 「何が正しくて、何が間と思ったこと。当時、アメリカは日本の言語や文化について学んでいたという。言語や相手の行動にどのような意味があるのか学んでいたほうが有利になるのにと思った。 二つ目は「今思うと」という点だ。今思うと、ということは昔そのようめに。みんなのために」。 この言葉は私たちの心に強く刺さった。戦争を知っている世代 は戦争なんて起こさない。起こすのは知らない世代だ。その知らない世代の1人である私たちは、日本がたった74年前まで戦争をしていた国であったと再確認し、戦争を知らない世代から「知ろうとする世代」になるように努力しなければならない。いや、そうする義務があると私は強く思った。なことを思うことはなかったということだ。当時はそのような教育が当たり前で正しい教育だったということに私は驚くとともに恐怖を覚えた。島袋さんは最後に若者へメッセージを語ってくれた。違ったことなのか。自分の将来のために、いろいろなことを学んで、自分で選んで、正しいと思うことに自信を持ってほしい」私はこの言葉を胸にこれからの人生を歩んでいきたいと思う。【石井優里佳】 【八木恵美】島袋さんに、私たち若 者に伝えたいことについて質問した。戦争体験を語れる方が減っていく中、若者ができることについて尋ねると、「まずは、いろいろな事を知ること。積極的に、我が国はもちろんのこと、 「憲法9条改正に賛成世界中の国々について勉強する。そして、わからないことは、聞いたり調べたりしてわかるように努める。そして、自分の目標に向かって頑張ることも大切だ」と語った。戦争を起こさないため には何が大切かも聞くと、「間違っていることは間違っているとはっきりと言うこと」という答えだった。戦時中の新聞には正しいことが書かれていなかったことも話してくれた。さらに島袋さんは、現在、憲法9条の改正を巡って議論が起きていることについても話してくれた。している方に知ってほしい。命が一番大切。人間と人間が殺し合うなんてもってのほか。どんなに つらいこと、苦しいことがあっても生きていてほしい」沖縄戦を生き抜いた島袋さんの話を聞いて、憲法9条は守らなければな らないとの思いが、私たちにもよく伝わってきた。沖縄県庁(那覇市)を訪れたときは雨の影響もあ り少し肌寒かった。基地対策課主査の山口直也さんに沖縄県の抱える基地の実情について伺った。沖縄県民は4人に1人が亡くなったという地上戦を経験、その後も収容所に強制隔離された。多くの人が自分の土地を米軍に強制接収され、米軍基地がつくられた。現在、米軍専用施設の約7割が沖縄に集中する。沖縄は国土面積のたった0・6%しかない小さな県。 それだけに米軍基地の負担はとても大きい。環境問題に悩まされている住民。事件や事故も後をたたない。これでは安心し普て段住か民らは米生軍活のし騒3日目て音・い❻ひめゆり祈念資料館❼嘉数高台公園︱りの❽瀬長島の浜辺も問県良題民いで投条は票件普を。天した間て基だも、地国よ辺けない。だから沖縄県はする県民投票を行ってきた。今年2月の普天間飛行事を巡る県民投票では、埋め立て反対の声が遥かに上回った。それにも関わらず、政府は埋め立て工事を続けている。沖縄の民意が無視されている事態に山口さんは「これではこの先不安しか残らない。本土の人たちにも、自分ごととして基地問題を考えてほしい」と語った。話を聞き終わったとき、体がほんのり熱くなっていた。以下主な質疑応答。◆賛成というよりかは普天間の安全を優先したいだけであって賛成票を投じた人も苦渋の判断をしている。なぜ「もう一つの選択肢」、国外に移設はないのか。もちろん沖縄県民は自分の土地に基地はいらない。政府の示す選択肢は普天間か辺野古か。この二つしかない。県民は他の選択肢を待ち望んでいる◆大きな理由としては周りに民家がなく安全性野古の透き通った海を埋め立てるのも大きな問題である。的拘束力はなく、あくまでも民意だ。ただ沖縄の本国民が関心を持ってほしい。【永留頼】元ひめゆり学徒隊島袋淑子さんに聞くひめゆり平和祈念資料館で追悼日目❶佐喜眞美術館❷道の駅かでな❶佐喜眞美術館❷道の駅かでな❸糸数アブチラガマ❹沖縄県庁❺国際通り散策❻ひめゆり平和祈念資料館❼嘉数高台公園❽瀬長島の浜辺野場今古移まの転で海のにをた2埋め回めの、立名基て護地2日目るに市関工辺❸糸数アブチラガマ ❹沖縄県庁民いが意◆の投❺国際通り散策今はか票は回?結のっ果県きにり民影投し響票力た。のは法な日ひめゆり平和祈念資料館もう一つの選択肢

元のページ  ../index.html#2

このブックを見る