2019年高校生沖縄特派員新聞
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だと感じた。【宮㟢優菜】きないことを夫妻が伝えるのだという意思を感じた。館長が語ってくださった中で印象的だったのは、「今、子どもたちは元気で明るくあることが求められているが、元気で明るくあることの前提として、沖縄で『戦争』があったという『闇』を知ることが大切だ。それを知ることで『光』の大切さがよく分かる」という言葉だ。私は「教育の重さ」を考えた。かつて日本政府が皇民化教育を行ったことで、沖縄でも、集団自決で亡くなったり、他人の命を奪ったりという悲惨な出来事が起こってしまった。だから、教育を受ける側は教えられることをすべてうのみにするのではなく、自分でも真実を追求して自分自身の意見を持つことが重要だと考えた。そして、教える側も真実を教えることが重要である。戦争を直接体験した人たちが高齢になった今だからこそ、戦争を直接知らない私たちは、彼らから戦争という「闇」を聞いて知り、「沖縄戦の図」を見て、絵が伝えていることを感じること、戦争の悲惨さを忘れないということが大切ではないか。      【桒原佳奈】3日ん=写真左端=に、基地私たち高校生特派員は8月2日に糸数アブチラガマ(南城市)を訪れた。全長270㍍のこのガマ(自然洞窟)は、1945年3月からの沖縄戦時、住民の避難場所、日本軍の地下陣地・倉庫となり、5月1日からは陸軍病院の分室として使われた。事前に調べていたが、當山菊子さんの案内で実際にガマに入ってみ私たちは、嘉手納基地3           ❷❶❼  ❽❺❹❸❻1   近くに住む喜久本郁子さ を見渡せる「道の駅かでな」(嘉手納町)でインタビューした。その最中も米軍機の轟ごん音が響く。嘉手納基地は極東最大の米空軍基地で、世界各地の米軍基地から外来機 がくる。通常の経路を逸脱することが多く、騒音問題が発生する。沖縄県の「航空機騒音測定結果」で、環境基準を超える騒音のデータなどが紹介されている。世界一危険と言われる普天間飛行場と比べても、離発着回うおると印象がガラリと変わった。 真っ暗な闇。入り口から見える太陽の光。滴る水の音。全てが初めてのことで、正直言うと怖かった。何と言ってもそこでは74年前、たくさんの傷ついた兵士や罪のない人々が亡くなった場所でもある。中でも、ガマの一番奥には、もう命 が助からないと判断された人、脳症患者、破傷風患者が閉じ込められていた。数が年間4~5万回と倍 以上ある嘉手納基地の騒音のひどさがわかる。基地の北側には弾薬庫、南側には米軍人の居 住区がある。米軍機はそれを避けるように市街地や住宅の上を飛行する。基地周辺住民は毎日騒音 「投票は一番簡単に政と不安に悩まされているという。環境汚染も問題だ。ピーホス(PFOS)と呼ばれる有機フッ素化合物の消化剤が基地周辺から高濃度で検出された。この問題を報じている沖縄の新聞によると、ピーホスは水質基準が設定されておらず、毒性の評価も国際的に定まっていない。600人の負傷兵を医師や看護師を含めて計30人で看護したひめゆり学徒に対して、よくこんなことができたなと思う。一方で、自分と同じような年齢にも関わらず、負傷兵にわくウジを手で取ったり、死体を埋めたりといった経験をした点に関しては、とても可哀想だと思い、複雑な気持ちになった。多くの尊い命を奪った戦争。その戦争を体験した人々が高齢化のためにこの事実を伝えられなくなってきている。戦争にまた、返還された土地でも、有毒な廃棄物や爆弾が埋まっている可能性があるという。沖縄の問題は日本の問題だ。沖縄の現状を知り、日本全体で考える必要があると思う。治に自分の意見を反映できる」と喜久本さんは言った。しかし若い世代の投票率はあまり伸びていないのが現状だ。私たち特派員は、あと1、2年で参政権を持つ。今回の訪問で知った沖縄の過去と現在を、未来へつなげるために選挙へ必ず行こうと思う。  【和田璃子】まつわるすべてのことを風化させないために僕たち高校生をはじめとする若者が実際にその土地に 行って学ぶことが大切だと思った。【堀江晃一郎】新聞などメディアで米軍普天間飛行場が危ないと言われている。一体何が「危ない」のか。最終日、沖縄戦の激戦地だったという嘉数高台公園(宜野湾市)の展望台に登り、普天間飛行場を望んだ。飛行場は市街地の中心部にあった。滑走路の誘導灯のすぐ近くまで住宅などが密集している。米国内では適用されている米軍の規定では認められないことだという。何機ものオスプレイも見えた。たしかに、危ない状態だ。それでは、飛行場が移設されれば、住民は平和 に暮らせるのではないか。そう考えたが、どうもそう簡単ではないらしい。名護市辺野古に移設されると、辺野古の海の自然が荒らされて、海洋生佐喜眞美術館(宜野湾市)は、1994年、普天間飛行場内に持っていた土地の返還を受けて館 長の佐喜眞道夫さんが開館した。基地フェンスのすぐ隣に建つため、米軍機の轟音が響き渡る。常設展示の「沖縄戦の図」(4×8・5㍍)に、沖縄戦の実態が描かれている。例えば、沖縄の人たちの集団自決の様子、米軍の艦隊、血で染まった海、海に沈んでゆく人々、幼くして亡くなった子どもたちへの手向けとしての風かま車、火の海、スパイ容疑で殺害された人、亡くなった人々の頭、戦場を逃げる女性、子ども、老人が描かれている。私が注目したのは、佐喜眞館長が「中心に描かれている子ども3人にしか目が描かれていないが、それは生きていたからだ」と説明されたことだ。次の世代を担う私には、3人の子どもの目が、目の前の地獄から沖縄をどのように平和にしていくのかという未来を想おもい描く目に見えた。亡くなった人々の中に作者である丸木夫妻の顔も描かれているが、亡くなった人々が伝えることのでざぐる物のすみかがなくなる恐れがある。また、移設したからといって普天間基地のあった場所が沖縄の住民に返還されるとは断言されていないというのだ。沖縄県基地対策課の山口直也さんらの話を聞いて、移転にさまざまな条件があることも知った。そうしたさまざまな問題が、沖縄の人たちの移設反対につながっているの光のない洞窟の中で…辺野古移設オスプレイも見えた絡み合う思い私たちは戦争を知らない。だから… 沖縄の闇●糸数アブチラガマ●道の駅かでな●嘉数高台公園●佐喜眞美術館1日2日「沖縄戦の図」の前で危険とともに暮らす住民たち絵からつなぐ未来

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