アメリカの水爆実験により、操業中のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員全員が被ばくした「ビキニ事件」から今年で70年。 被害の救済を求める訴えが今も続いている一方で、被ばくの実相をどう伝えていくのかが課題となっています。ビキニ事件の歴史等を知り、改めて平和について考えてみましょう。都立第五福竜丸展示館 学芸員公益財団法人 第五福竜丸平和協会専務理事安田 和也さん第五福竜丸として最初の航海へ 第五福竜丸展示館資料より2お話を聞いたのは 第五福竜丸が誕生したのは1947年。前身の「第七事代丸」は神奈川県三崎港のカツオ漁船として、和歌山県古座造船所で建造されました。戦後の日本は大変な食糧難の時代で、魚は貴重なタンパク源でした。日本政府はGHQと交渉し、100t未満の木造漁船の造船許可を得て、漁業が再開されました。その中の1隻が第七事代丸です。 第七事代丸は1951年静岡県でマグロ漁船に改修され、1953年5月に「第五福竜丸」と名づけられました。今月の特集被ばくから70年 第五福竜丸〜その記憶を後世へ〜第五福竜丸とは?第五福竜丸とは?
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