アイス沖縄そばタコライス僕は沖縄で多くの方の話を聞いた。印象に残っている鉄血勤皇隊と嘉手納基地について書こうと思う。皆さんは鉄血勤皇隊を知っていますか。沖縄戦で今の中学、高校生にあたる沖縄県内の少年たちで構成された部隊だ。旧県立第一中学を引き継ぐ現在の首里高校の同窓会館・養秀会館の「一中学徒資料展示室」では鉄血勤皇隊について学ぶことができ、その前の広場には一中健児之塔が立っている。沖縄訪問前には同展示室の大田光さんのオ ンライン講義を受け、現地では山田親信さんの話を聞いた。1945年3月27日に一中の卒業式が行われ、鉄血勤皇隊などとして日本軍の沖縄防衛に配属された。学校からの指示で遺書を書かされ、自分の髪の毛と爪も封筒に入れて提出した。山田さんに見せてもらった遺書には、「もう思い残すことはない」とある一方で、「お母さんに会いたい」とも書かれている。鉄血勤皇隊員への扱いはひどく、どの壕でも一番危険なことをさせられていた。隊員は自ら命を絶ったり行方不明になったりして減り、生き残った人は収容所に連れて行かれたという。自分と同じ年齢の若者が戦争に駆り出され、苦 しい思いをして死んでいったことを聞き、心が苦しくなった。米軍の嘉手納基地を 知っている人はどのくらいいるだろう。普天間飛行場や辺野古移設はよく 取り上げられるが、他の基地はそこまでニュースにならない。だからといって他の基地周辺で被害が無いわけではない。嘉手納基地について話を聞いた上地安重さんの家では、毎朝決まった時間に離陸していく戦闘機の騒音でテレビの音が聞こえず、一年を通して窓を閉めて生活しなければならないという。嘉手納基地を見渡せる「道の駅かでな」からは、端が見えないくらい長い滑走路と離陸する戦闘機が見られた。実際、離陸時の音は大きく、会話ができないほど。そうした騒音が日常的であることに驚いた。今回、特派員になって痛感したのは僕が沖縄戦について全く知らなかったということ。沖縄戦があったことは学校の授業で知っていたが、詳しく教わったことはない。自分で深く学ぶ機会もなかった。沖縄では戦争が終結して78年が経過した今でも騒音問題などさまざまな米軍基地問題に悩まされている。沖縄の人々にとって沖縄戦はまだ終わっていない。沖縄を観光地と見るだけでなく、戦争で多くの学生を含む民間人が巻き込まれて亡くなった戦場なのだと頭の片隅に置いて訪れてほしい。この記事を読んで鉄血勤皇隊や基地による被害について調べ、知ろうとしてもらう機会になってほしい。【井関悠斗】国際通り●米軍嘉手納基地(道の駅かでな)4ま●一だ中学、徒資終料展わ示っ室ていない2023年12月発行 3日間、沖縄の「食」を堪能しました。 1日目のお昼は「タコライス」を食べました。色とりどりの野菜が鮮やかでした。スパイスがきいて、家で作るタコライスとは全く違ってとてもおいしかったです。3時のおやつには沖縄の名物「サーターアンダギー」をいただきました。サーターアンダギーは、いろんなところで食べる機会がありましたが、どこも少し違う味がして楽しめました。素朴で優しい味でした。 2日目の昼食は、「沖縄そば」を食べました。そばとラーメンを合わせたものかと思っていたけど全然違いました。大阪では食べる機会のない新しい味でした。夕食は、国際通りに行ってステーキを食べました。お肉が大きくて驚きました。たくさん沖縄で食べたけれど1番印象に残っているのはアメリカ生まれ、沖縄育ちのブルーシールのアイスです。ホテルでもそのアイスが朝食や夕食のビュッフェで出ていたのでみんな毎日食べていました。みなさんも沖縄の食文化に触れてみてください!【福永千夏】鉄血勤皇隊になった旧制沖縄一中生について山田親信さんの説明を聞く特派員たち沖縄取材には毎日新聞と琉球新報の客員編集委員で沖縄戦研究者の藤原健さん(右端)が全行程同行し、特派員に説明してくれた。嘉手納基地を取材中にも軍用機が大きな音を立て離陸していった
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