2024年高校生沖縄特派員新聞
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▲チビチリガマ内には自決に使われたとみられる遺品と遺骨が残されている 【髙橋康太】 【田中志奈】軍隊は住民を守らなかった私たちはスパイじゃない命と心を奪った集団自決久米島虐殺の記憶❷読谷村❹米軍普天間飛行場が望める嘉数高台公園❻沖縄県平和祈念資料館❺スパイに疑われた島袋由美子さん❷チビチリガマ❶❹❷❺❻  3          沖縄戦当時6歳で、沖縄の離島・久米島に住んでいた島袋由美子さんから「住民虐殺」の話を聞いた。久米島では、空襲はあったが沖縄本島のよう な地上戦はなかった。(海軍通信隊)は40人ほど1945年6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終了すると、26日に米軍が上久米島に駐屯していた日本軍の部隊は、米軍のスパイだと見なした島民を子どもから大人まで容赦無く殺した。それだけでなく、食材などを島民に運んで来させたり、働かせたりしていた。住民はただおびえていた。それも本来自分たちを守ってくれるはずの日本軍に対して。そして、島袋さ ん一家もスパイの疑いをかけられていたが、隊長らが米軍に降伏し、助かることができた。島袋さんの実体験を聞き、不安を抱くように陸してきた。日本軍の久米島守備隊で、鹿山正隊長は島民に米軍との接触を禁止した。 しかし、上陸してきた米なった。戦争には敵と味方があり、味方が自分たちを守ってくれると信じていた。しかし、島袋さんは、砲弾が飛んでくれば、敵が撃ったのか味方が撃ったのかは関係ないと言った。銃を向けてくるのが敵であり、それは米軍であり日本軍でもあったという。戦争中、日本軍は「住民」を守るのではなく「国」を守った。これから先、「国」を守るため住民が犠牲になることはないのだろうか。当たり前を 疑ってみることも必要な軍は友好的で接触する島 民もいた。隊長らは、米軍と接触した人たちをスパイとみなし、島民約20人が殺された。その中には島中をまわって鉄くずなどの回収をしていた朝 鮮出身者の一家7人も含まれていた。島袋さん一家も米軍と接触があったためスパイことだと気づかされた。本土に住む私たちも、沖縄の米軍基地問題やかのリストに入れられ、いつ殺されてもおかしくなかったという。8月15日に終戦の玉音放送が流れても、隊長は日本の敗戦を信じず、9月に沖縄本島から上官がやってきてようやく降伏した。島袋さんは「沖縄戦では軍隊は住民を守らなかったという事実があります。戦争をするということはどういうことかもう少し考えてほしい」と言った。島袋さんは子孫に戦争をさせないため、基地のない社会にするため、週に一度辺野古に行き基地建設反対の座り込みをしている。私は、戦争は殺し合いだけでなく全てに傷を残すという言葉に、戦争の恐ろしさを実感させられた。    つての日本軍の行為から目を背けず、向き合うべきだと思う。【安宅優那】私たちは、1945年4月1日に米軍が沖縄本島に上陸した読谷村にあるチビチリガマを訪れた。 ガマは天然の洞窟のことで、当時米軍による攻撃を恐れて、あちこちにあるガマに住民が避難した。4月2日、この世のものと思えないほどの悲劇がチビチリガマで起きた。米兵による残虐行為を恐れ、避難していた約140人のうち83人が集団自決で命を落としたのだ。毒薬の注射、積み上げた布団に火をつけての窒息死、さらには肉親同士で殺しあうといった惨劇まであった。私たちは、チビチリガマ遺族会会長の與那覇徳雄さんの案内で、ガマの中に入らせていただいた。垂れてくる水が涙のように感じ、一歩一歩が重たく感じられた。割れてしまった生活用品や鎌、大きな遺骨、そして子どものものと思われる小さな遺骨も落ちていた。当時、與那覇さんの母は別の場所にいたが、実家の家族がチビチリガマで亡くなった。それを知った母は、子どもたちをつれて2回海で入水自殺をはかったという。「あの時母が踏みとどまっていなかったら、私は生きていない」と戦後生まれた與那覇さんは語った。亡くなった人の心だけでなく、遺族の心まで奪ってしまう出来事だったのだ。この出来事が世に知られたのは戦後38年たってから。生き残った方や遺族の思いをくみ、その人たちが話すまでは黙っておこうという地域の人々の思いがあったからという。戦争は、人の命と心を奪い取る、最低な行為だ。少なくとも、私には大好きな人と殺し合うことなど想像できない。そのような戦争が二度と繰り返されないように、私たちに何ができるのか。私自身、自問自答を続けていきたい。  ふるさと久米島での日本軍による住民虐殺について語る島袋由美子さん島袋さん一家もスパイ容疑をかけられていたとの話を取材する特派員たちチビチリガマの前で集団自決について語る遺族会会長の與那覇徳雄さん(左端)1日目9月21日❶米軍嘉手納基地(道の駅かでな)チビチリガマ2日目9月22日❸辺野古基地建設の埋め立てが進む大浦湾9月23日3日目❺なは市民活動支援センター(久米島住民虐殺の証言) 平和の礎久米島久米島

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