2024年高校生沖縄特派員新聞
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❻平和の礎❻摩文仁の丘 4     「いしじ」とは、沖縄の方言で基礎「いしずえ」に由来し、ゆるぎない平和への思いが込められて いる。刻銘碑には、沖縄戦で亡くなった沖縄県民、沖縄県以外の方々、ハングルの名前、米国兵士の名前など、敵味方関係なく、犠牲になった一人一人の名前が刻まれていた。そこから見た海は美しい青色で、ここで壮絶な戦闘があったとは想像できない風景だった。丘の下の洞窟に日本軍の司令部があった。もともと司令部のあった首里から南部への撤退で、多くの住民が巻き込まれ、沖縄戦の最激戦地となった。▲鉄血勤皇隊の壕に入り取材する特派員司令官と参謀長は洞窟の開口部近くで割腹自決したという。丘の上には慰 霊碑が建っている。丘とその周辺は平和祈念公園となり、各県の慰霊碑が整然と並び、「沖縄戦没者墓苑」に身元不明の人たちの遺骨が祭られている。丘から海の方へ降りた所に、沖縄師範学校男子部生徒らで構成された鉄血勤皇隊の戦没者慰霊碑と勤皇隊のガマがある。自分と同じ世代の若者の思いを想像すると、心が苦しくなり私はガマに入ることができなかった。戦争というと広島や長崎の原爆のイメージが強い。しかし、沖縄戦は、日本における唯一の県民を総動員した地上戦で、太平洋戦争で最大規模の戦闘だったことをこの新聞で私たちは伝えることができただろうか。沖縄では戦争が終わった今も、米軍基地の集中、軍用機の墜落や騒音、基地建設の埋め立てによる環境破壊が続いていて、米兵による犯罪も起きている。沖縄が抱えている問題を、国民一人一人が、国全体の問題として議論していかなければならないと思う。戦争は皆を不幸にし、誰にとっても良いことが一つもない。同じ過ちを繰り返さないように、忘れてはならない歴史に一人でも多くの方が関心を持ち、この新聞を読んで沖縄の事について考えてもらえるきっかけになればと願っている。【小山来実】2024年12月発行平和の礎について説明する沖縄県平和祈念資料館学芸員の大城航さん(中央) 沖縄の風景や食べ物は、大阪での日常生活にはない、すてきなものでいっぱいだった。 バスからはずらりと並んだ赤瓦の家が見えて、ほとんどの家でシーサーがお出迎えをしていた。また、道路の脇はたくさんのハイビスカスによって赤と緑で彩られ、青空とさとうきび畑のコントラストもきれいだった。 そして、沖縄の食べ物はどれも本当においしかった!沖縄そばの優しい味や、タコライスのピリッとした甘辛い味、ステーキからあふれ出る肉汁に、すっかりとりこにされてしまった。また、ラフテーやミミガー、テビチなどさまざまな豚肉料理を食べて、豚を余すことなくおいしくいただくという沖縄の精神と、命の大切さを感じた。特に印象に残っているのが、ブルーシールのアイスクリーム!ホテルや国際通り、空港でも、みんなたくさん食べていた。 沖縄には、その土地ならではの風景や食べ物がたくさんあります。みなさんも沖縄を体感してみてください!【田中志奈】高校生“沖縄特派員”新聞vol.6読者アンケートみなさんの声声をお聞かせください!でーじ好きさー揺るぎない 平和への想い

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