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スタッフのつぶやき

倉敷市真備町で思ったこと(後編) ~災害支援活動に参加して (2018.8.20)

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前編に引き続きBさんのお宅での話です。
被災当日は、山型になっている1階屋根部分に避難されたそうです。

(注)Bさんに許可を得て撮影した写真を掲載しています。


アツタ

アツタ

スタッフのアツタです。
前回に引き続き、岡山での話です。よろしければご覧ください。

・前編はこちら
・前編におよせいただいたお声はこちら

(注)いずみ市民生協としての見解ではなくあくまで一スタッフの感想レポートです。


3.「まさかね、と思ってたんです」


作業の合間、Bさんに豪雨当日のことを聴かせていただきました。


ほんとにね、まさか、って思ってたんですよ。避難勧告が出てたけど。ここら辺は床下浸水くらいはあっても、そんなに大きな水害とかは起きたことなかったし。


でも、少しずつ、どんどん水が上がってきてね。
「・・・どうする?」って、半信半疑のまま、家族で、脈絡なく目についたものを2階にもって上がったりしだしました。買ったばかりの電子レンジとかね(笑)もったいないから。
でも現実感はなくて、映画か何かのようでした。


みんな2階に上がって、「さすがに2階までは来んやろ」って言ってたけど、次第に階段が1段ずつ浸かっていって…。
結局窓から1階部分の屋根に出て、助けを待ちました。

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    2階の窓から屋根を覗いたところ。

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    真備町では51名の方が亡くなられたそうです。

警察に電話しても、「何か浮くものを持っておいて」とか言われて。
慌ててプールで使うようなやつを出してきて空気を入れてふくらましたり、流れてくる浮いてるものを捕まえたりとかして。


あそこの、電柱についてる街灯の下あたりまで水が来てたんですよ。

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写真の赤線の高さまで水に浸かったことになります。

1階の屋根もいよいよ浸かりそうになって、警察に電話しても「天井を突き破って2階の屋根に出て」って言われて。

そんなこともできないし、もうどうしようと思ってたら、結局民間の方のボートが来て救助してくれたんです。


そのお話を聞いていたのは1階でした。その日完全に水に飲み込まれて、水中になっていた場所に立っていたことになります。もちろんお話を聞いただけでは想像もできず、信じられないような話でした。マスクを外しているのになぜか急に息苦しさを感じながら、ただ黙って隣の家の屋根を見上げていました。


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赤線の高さまで、4~5mはあると思います。


あっという間にバスに戻る時間がやってきました。
「もう1回くらい、軽トラで運べるんちゃう?」と、どこまでやるか意見が分かれたりもしました。みんなそれぞれに、少しでも作業を進めたいという気持ちがあふれていました。


4.思わぬ再会


拠点に戻り、活動報告をします。
ふと、テントの中に見覚えのある女性を見かけました。思い切って尋ねてみるとやはり、 2年前の熊本地震の際に現地のボランティアセンターで何日かご一緒した方でした。


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拠点を切り盛りしているNGO団体のメンバーの中にいました。


すごい偶然の再会を普通なら手放しで喜び合うところですが、こういう場合は事情が違います。
再会したということは、また悲しいことが起きたということ。

用意いただいた冷たいタオルを借りながら、とつとつと、少しだけ当時の話をしました。
最後、バスに乗り込む際に、

「じゃあ、またどこかで・・・って、会わない方がいいですよね・・・」

「ですよね、こういう形では・・・次が起きないように・・・」

そんな会話をして別れました。


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熊本では生協のトラックを使って引っ越しのお手伝いをさせていただきました。


岡山にいながら、急に熊本でお手伝いをした方たちのことを考えました。恥ずかしながら随分久しぶりに思い出しました。他にも、岩手、福島、先月行った茨木市、、、。 大阪へ向かうバスの中、窓の外がどんどん平穏な景色に変わるのを眺めながら、自分には何ができるやろうと、ぼんやり考え続けました。


5.支援の輪を重ねて ~微力は、無力じゃない

災害支援のボランティアに躊躇なく参加できる状況の方はそれほど多くないのではないかと思います。
(その点で、職場でそういう機会を与えられる私たちは恵まれていると思いますし、いい職場だなと感じます)

前回、茨木に行ったお話をした際にも以下のようなコメントをいただきました。

〇腰に持病を持っている私は、行きたいと思っても、怖くて行く決心がつきません。今週から、募金が始まったとか。少しですが、自分にできる事をする。それが大事なのではと思っています。(ひとちゃんさん)

〇私は現地へ行く事が出来ませんが、情報を得る事と募金に協力したいと思います。(みーちさん)

〇私はできることが少なくて、足手まといになることが多く、もどかしい。考えるより動かないといけませんね。(匿名希望さん)

以下、個人的な意見ですが、帰りのバスの中で思った3つのことです。


(1)まずは自分の足元から

残念ながら自然災害を根本的に防ぐことはできません。私たちが被災者になる可能性ももちろんありますよね。先日の大阪北部地震で、ヒヤッとされた方も多いと思います。

まず自分が足元をすくわれないこと。もし被災して支援を受ける側に回ることを考えると、みんなが被害を小さくする努力をしておくことも大切だなと思いました。
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(2)それぞれの持ち場で

支援にも役割分担があるのかなと思います。

確かにまだ現地のボランティア参加者は不足しています。でもみんながみんな行けるわけじゃない。僕もそんなに何回もは行けません。

現地に行く人だけでは成り立たないこともあります。土のう袋はいくらあっても足りないでしょう。他にも必要なものはたくさんあります。募金や物資支援をする人は多い方がいいですし、そういう役割は必ず必要です。

「支援者の支援にまわる人」は、たくさん必要だと思います。

※少し目を向けてみると、各分野で様々な方がアクションをされています。僕は音楽が好きなので、いろんなアーティストの活動に託すことが多いです。趣味の分野できっかけを探してみるのもいいかも知れませんね

(3)気にし続ける

ただ気にし続ける、忘れない、ということも必ず支援につながると僕は思います。

どの災害も報道は次第に減っていきます。一方で、どこの被災地でも言われたのが「日本の中で、忘れられたくない」ということばでした。そこにはいろいろな感情や危機感が含まれていると思います。

風化は継続した支援や再発防止を妨げます。
忘れないこと。それを個人ではなく、できれば家族や知り合いの間で、ごくたまにでも話題にする。重苦しく眉間にしわを寄せてではなく、自然体で話題にするのは、誰にでもできることかなと思います。

この文章も、そんなことを思いながら書いています。

災害支援の広がりを円に例えるなら、被災地を中心として、「被災者の方自身の自立再建」、その外側に「現地での支援者の活動」、その外側に「支援者の支援活動」、更に「公的支援」や「距離に関わらない間接的なとりくみ」など、外側にいろいろな半径の『同心円』をみんなで追加していけば、円全体の総面積(=支援の総量)を大きくすることができると思います。

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一番外側の円にいるのは、「関心を持ち続ける人たち」ではないでしょうか。
それはもしかしたらもっとも“微力”な層かもしれませんが、決して無力ではありません。もっともたくさんの人が関われる支援の輪ではないかと思います。

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アツタ

アツタ

長文にもかかわらず最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
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